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2013/11/25

ああ、また・・・

年末の仕事で慌しい毎日、また今月は私の誕生月ということで食事や飲みに連れて行ってもらったり、忙しいなりにご機嫌に過ごしていましたが、一週間前、小中学校の同級生で長い付き合いだったS君の喪中葉書が奥さん名で届いて、「3月に永眠」なんてことも私は全く知らなくて、ただただ驚き、ここしばらくの無沙汰を後悔し、激しく気落ちしてしまいました。今年も年賀状をもらったのだし、律義にも彼は毎年欠かさず奥さんや成人した娘と撮った家族写真プリントの年賀状をくれるので、幸せな姿を見て嬉しく思いつつも、口の悪い私が「写真付はほりにくい。処分に困るやんか」と意地悪を言ったら「ほるなよ。額にいれて眺めてくれよ」と冗談が返ってきたこともありました。Sの喪中葉書は青天の霹靂という感じ。全く信じられませんでした。確かめる前に寝込んでしまい、パソコンを開ける気力もありませんでした

S(いつも名字を呼び捨てにしてたので)と最後に会ったのはいつだっただろう。2年ぐらい前だっただろうか。去年は忘年会してたかな?ちっとも思い出せないのだけど、思い出せないぐらいSとはよく飲んだしよく遊びました。私のオフィスが新大阪にあった頃はちょくちょく立ち寄ってくれて、といっても仕事途中に近所を通るとサボリに喫茶店代わりに使われただけですが、ともかく互いに遠慮がない間柄でした

私が子供の頃、そうですね小学校の低学年頃までは・・・年代が丸バレですが、冬の暖房には灯油ストーブをはじめ長火鉢や練炭火鉢は普通にあったし、寝る時は豆炭の入ったあんかや湯たんぽなどまだ使っていました。Sの家は燃料屋だったので、Sのお父さんがうちに配達してくれていて互いに家族ぐるみで顔馴染みでした

確かSとは小5から中3まで同じクラスで高校は別々、でも親しく喋るようになったのは高校生になってからでした。大人になってそれぞれの事情で地元を離れた一時期を除いたら、つかずはなれずの交際が現在までですから、冷静に考えれば気の遠くなるような年月ですが、それもアッという間のように思います

思い出はたくさんあります。みんなで行った海水浴やキャンプ。免許とりたてで岡山までドライブしたこと。吉田拓郎のライブはSに誘われて行ったのが最初だった。家業を嫌って就職したものの結局は継ぐことになって荒れたときのこと。頼まれて女の子を紹介、うまくいってたのにわざわざ妙な女と三角関係、全くアホらしい後始末を押し付けられて私が大激怒したこととか、まっ若い頃の話ですが。悪口を書いたら怒って出てこないかしらなどとあほなことを思ったりして・・・とにかくいろいろとたくさんありました

私とSとでは物事の考え方や捉え方が違う点が多くて、ときどき罵り合ったりもしたのだけど、不思議とどこか気が合うところがありました

数少ない友人がまた一人去ってしまいました
同級生が・・・ことのほか堪えます
日記 | Comments(2)
Comment
No title
親しい友人、それも同年代の友人の訃報はこたえますね。
私も先日中学の同窓生とのゴルフコンペに行ったら
お仲間が一人欠けていました。
なんとなく、自分の身の回りの人にはそういうことが
おきないような思い込みが、どこかにあったのですが
自分自身も含めて、何があっても不思議じゃないのだなあと
改めて思いました。
そらまめさん
まだまだちっとも・・・と言いつつ、何があってもおかしくない年齢と知りつつ、それでもやっぱり早すぎますよね

幼馴染みって、互いの家の事情もなにもかも分かりすぎるほど分かってますから、ええかっこも隠しごとも何もなく、ざっくばらんで私にとって居心地の良い存在でした

何人か昔の同級生に連絡したら、私と彼とがいまだに付き合いがあったことに驚かれてしまいました(汗)
あらためて貴重な存在だったと感じています

そらまめさんのお仲間にも・・・ですか
若くして逝った友を慮ると、いたたまれない気持ちになりますね

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