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2009/10/25

韓国土産

近所のご夫婦がソウルへ行って来たそうで、お土産をいただきました

20091025 (1)

「龍のひげ」というのは韓国の飴ちゃんですが、うちの母がこれを見て「わぁ~懐かしい!」と言って喜んでおりました。というのも、うちの母は少女時代を釜山の日本人街で過ごし、15歳のとき終戦になって、通っていた女学校で慌てて卒業式を済ませてもらい、命辛々で内地へ辿り着いた引揚組だからです

「表で遊んでいたら飴屋さんがこの飴を売りに来てよく買った」らしいのです。当時の飴は大きな板状で、それをカランカランと良い音を立てて切ってくれたそうで、「へぇ~、今はこんなお洒落になってお土産物か~」と懐かしそうです

話が横にそれますが、なぜ祖父母(と母)が釜山へ渡ったのかといいますと。。。
うちの本家は島根県の山奥ですが、祖父は次男でしたので結婚と同時に分家しましたが(その結婚も祖母に夜這いして既成事実を作ったため・爆)、結婚後は芸者さんと遊びすぎて、資金源を本家の蔵から持ち出したのが曽祖父にバレて勘当、田舎には居辛くなり仕事もなくなり、当時景気の良かった釜山で一発当てる気で、女房と娘(母)を連れて渡ったということらしいです

渡ってからの過程はいろいろあったのでしょうけど、その後の釜山では、うどん屋・てっちり屋・パン屋・仕出屋などの飲食店経営で手広く商売を成功させたそうで、ホンマかウソか分かりませんが母の話では、手で押さえないと箪笥の抽斗が閉まらないぐらい毎日売り上げのお金がたくさんあったらしいです(たぶんミニチュアの箪笥と思う)
とはいえ戦時中のこと、食品統制もあっただろうし、飲食店は大変な気もしますが、祖父の店は日本軍(20人ぐらいの事務所?があったらしい)へ、一日三回の仕出しをしていた関係で、砂糖・米は別枠で支給されたそうで、海産物その他いろいろな材料が豊富に手に入ったとのことです。終戦で日本へ引き揚げ後に本家から勘当を解かれたのも、「本家が困ってるって聞いたんで、釜山から食品とお金をどんどん送ったからや」ということらしいです

あー、しんど。。。
韓国の飴ちゃんをもらったお陰で、長い長い耳タコ話を聞かされてました(笑)

戦後、内地への引き揚げは、それこそ命がけで大変な苦労があったようですが、母にとっては裕福で両親の愛情を一身に受けた釜山での少女時代は幸せな思い出のようです


おまけは今日の晩御飯♪
パクパクと・・・美味しかったです(*^o^*)

20091025.jpg
飲むとか食べるとか | Comments(6)
Comment
菊さんのお母様はひょっとして昭和5年生まれ?
だったらうちの母といっしょです。確か菊さんと私も同じだったような。
お母様は幸せな少女時代を過ごされたんですね。
うちの母は5人きょうだいの長女で、いつも背中に赤ん坊がくくりつけてあったと話していました。
母が元気なうちに、そんな昔話もきいておいてあげたいなーと、ちょっと思いました。 
そらまめさんへ
■そらまめさん、こんばんは~

はい~昭和5年なんですよ!
私たちって、母親込みで同い年だったんですね(*^o^*)
母には兄がいましたが、病弱だったので本家預かりで釜山へは行かず、母は一人っ子状態でした。その後の釜山で妹弟が生まれたので、引き揚げる時は赤ん坊を背中にくくりつけてたそうですよ

祖父は終戦間際に心臓病で亡くなっていて(まだ30代)、祖母も母も実際は苦労したんじゃないかと思います。結局祖父は骨になって帰国、孫に免じて勘当を許されて墓にも入れてもらえた・・・という訳で、田舎の因習とは厳しいものですね。今でも本家は何かといろいろ口出ししてきます(汗)

母の世代は、特に戦時中の話は、尽きることがないようで(正直しんどい。。。)
親孝行だと思って辛抱強くきいてあげましょか~(笑)
ごーかいな一族ですなぁ

昭和5年はウチのパパンと同じですわ
パパンは台湾にいたので帰国に命からがらということもなかったらしいですが
なにがどう混乱したのか、熊本県立玉名高校と岐阜県立岐阜高校の卒業生名簿に名前があります

じいさんの実家が玉名なんでしばらく居候でもしてたんでしょうが
玉名高校のことは知りませんが岐阜高校だと元ライオンズ監督・森晶祇(昌彦)の一年先輩にあたるそうです
GMへ
■GM、まいどです~

そうですか~
確か母上は私と誕生日が同じだったんじゃないでしょうか(^-^)

もうひとつごーかいな話を(そーでもないか・・・)
私の父は、商家の跡継ぎとして養子に出されて大切に育てられた身だったんですが、母は見合いでその商家に嫁いだ訳ですが、大人になった父も芸者さんが好きで遊びすぎたため、とうとう養子先を夫婦揃って勘当されました(呆)
離婚はしませんでしたが、そのせいで私の姓は母方の苗字なんですよ
母は自分の父親と同じような夫へ嫁いでしまって、なんというか、業が深いんでしょうかね(汗)

昔話は辛抱強く聞くと、しまいには腹が立ってきますわ、うちの場合は(爆)
ごーかいですなあ

まるで昔の噺家さんの逸話集を聞くようです
一、二代前の話だと菊さんご本人も当事者になっちゃうんで「ごーかいですなあ」なんていってられないのかも知れませんね
失礼しました
GMへ
■GM、こんばんは~

めちゃくちゃ当事者なんですが、私は成人するまでよく知りませんでした
父の三回忌になってやっと分かったこともありましたし、母も苦労が身につかないタイプというか。。。(呆)
なんとなくですが、「男の基本が父親」と思わなくもないところにファザコン娘の悲劇があるかもしれません。まわりくどい表現やなぁ~(爆)
ま、ええかげんな父親でしたけど、面白い人ではありました

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